2020年1月24日(金)、『キャッツ』の映画が日本でも公開されました!早速初日に鑑賞。
その翌週、1月28日(火)には劇団四季の『キャッツ』を約1年ぶりに観劇しました。
本記事では、両者を比較しつつ、映画版の感想を述べていこうと思います。
なお、
劇団四季版は浅利慶太独自の演出のため、
なお、私は「劇団四季版は複数回観たことがあり、サントラもよく聴いている。が、24匹の猫の名前と容姿は一致しない」というライトなオタク層 (というのもよくわかりませんが…) に当てはまります。
概要
映画版
日時:2020年1月24日(金)
上映時間:109分
出演:ジュディ・デンチ、イアン・マッケラン、ジェームズ・コーデン、ロビー・フェアチャイルド、フランチェスカ・ヘイワード、テイラー・スウィフト、レベル・ウィルソン 他
舞台版 (劇団四季)

原作や関連作品
あまり知られていないですが、『キャッツ』の原作は詩集です。
イギリスの有名詩人、T.S.エリオットによる「ポッサムおじさんの猫とつき合う法」という作品です。
その他、一度映像化もなされていますし、劇団四季版のCDも販売されています。
今回の映画版の字幕も、言葉のチョイスが多少劇団四季版の歌詞を意識しているように感じました。
感想とか考察とか
※以下ネタバレあり。注意!※
ビジュアルの問題と衣裳:バストファージョーンズ、マキャビティ、ジェニエニドッツ
日本での映画公開前、北米では『キャッツ』映画版への酷評が相次ぎ、日本でもかなり話題になりました。
一番の批判の的になっていたのが、猫のビジュアル。
特に舞台版に触れたことがない人からしたらショッキングでしょう
しかも体型は人間のまま。
「映画版は観ているうちに慣れる」という意見も多くありますが、
私には、猫の顔や体型よりも衣裳が問題に感じました。
お洋服を着ている猫とそうでない猫がいるのは舞台版も同じですが
そこで脱がれてしまうと、
特にマキャビティについては、ボンバルリーナ (テイラー!) との絡みがあり…。
アメリカの映画評でポルノと表現されていた所以はここでしょうか
また、『キャッツ』の良心のジェニエニドッツも品がなさすぎる。
彼女は最初からお洋服を着ていないため、むしろ直視できます。
が、下品。良いおばちゃんであり続けてほしかった。
ジェニエニドッツのシーンについては、次の項目でも触れます。
猫以外の動物の存在 (と非存在)
猫以外の動物は、人間、ネズミ、ゴキブリが出てきます。
舞台版では犬もいます。
人間の登場は、最初の最初。
というか、
ヴィクトリアを捨てた人間は顔までは出ず、
この演出は面白いとは思うのですが、
せいぜい車から腕を伸ばしてヴィクトリアを投げ捨てる…でも良かったのでは?
また、
ですが、
映画版のヴィクトリアが新入りであることを表現したかったのだと
新入りがいると、観客と同じ目線で存在できるため、設定としてはとても良いと思ったのですが…。
そういえば、この最初のシーンはゴミ捨て場でしたが、
舞台版の物語は最初から最後までゴミ捨て場 (都会という設定あり) で繰り広げられます。
映画版はもっと”ロンドンの物語”
一番最初にラッセルホテルが出てきたのもとっても好印象でした。最後のほうがの曲の歌詞に出てくるホテルです。
私は中学生くらいのときからミュージカルを観るように…
ラッセルホテルは大階段が印象的だったので、
ネズミとゴキブリ。
前述のジェニエニドッツの曲中にはネズミとゴキブリが出てきます
この子たちも人間が演じている状態。
舞台版では、
個人的には猫以外の動物をリアルな状態 (いやリアルなのかはわからないけど…) で出して欲しくなかったー。
あれ、わんきゃんは?マンゴランぺもなんか違うよ?
2018年8月の大井町での公演から、舞台版には「グレート・ランパスキャット」という曲が追加されています (厳密には復活) 。
犬同士の喧嘩を猫が諫めるという曲なのですが、「わん!きゃん!」という歌詞が耳に残ります。
映画版ではこの曲はなし。
というわけで、我らがジェリクル・キャッツのリーダー、マンカストラップの曲もなし。
ちなみに、マンカストラップを演じるロビー・フェアチャイルドが画面に映るたび、「この顔知ってる…。あ、『パリのアメリカ人』のオリジナルキャストの主役だ!」といちいち驚きました。笑
マンゴジェリーとランペルティーザの泥棒カップルの曲も、大井町公演から曲調が変わっています。
が、映画版では以前のバージョン。やっと新しい曲調に慣れてきたところだったのに、突然の懐かしき曲が。
マンゴランぺのキャラも、舞台版よりも悪者感が強くなっていました。マキャビティの手下の一員とか悲しい。なんか中途半端。
なぜヴィクトリアが主人公?
前述の通り、ストーリーらしいストーリーがない『キャッツ』において、
説明があれば、観客も世界に入っていきやすいですもんね。
ではなぜその役割を担ったのがヴィクトリアだったのでしょう?
世の中を知らないくらいの純真無垢さで、
(余談ですが、
舞台版のシラバブは、
ただ、映画版では、
シラバブにはロマンスを体験させるのはまだ早かったのかもしれま
また、舞台版でも映画版でも、
これ相当な無茶振りですよね。手品師なのに。
舞台版のこの救出シーンでは、
映画の鑑賞中、「
が、、、、、
まさかの身代わりなし。
ミストフェリーズが何度も失敗したのち、
いやいやせっかくならヴィクトリアに手伝わせてあげようよ。
というか、
デュト様、全体的に思わせぶりすぎるよ。
そういえば舞台版では男性が演じるものの、映画版ではジュディ・デンチ演じるデュト様が完全に女性として扱われていたことも興味深かったです (歌詞がsheに変わっていました) 。
マキャヴィティの存在感
映画版は序盤からマキャビティが何度も姿を現します。
舞台版でも姿は現しますが、
映画版の最初にネオンのモリアーティーという文字をマキャビティ
舞台版と映画版のマキャビティの決定的違いは、
舞台版はなぜ悪事を働くのかという根拠がないため、
選ばれたいがゆえに、
ただ、マキャビティ、
最初に「自分は魔術師だ」みたいな台詞があり、
原作では、ミストフェリーズに魔術猫という名称が与えられていますものね。
なお、映画版でマキャビティの手下と化したグロールタイガーについても
ジェニエニドッツとバストファージョーンズの役割
先述しましたが、ジェニエニドッツは品がなく、
さらにジェニエニドッツのシーンではゴキブリもネズミも出てくる
バストファージョーンズさんのシーンも生ゴミがたくさんで不快。
映画版の世界のコメディアンポジションの二匹なようですが、
個人的に舞台版のバストファージョーンズさんの登場の仕方が大好
明暗が突然切り替わる感じも舞台版のほうが好きです。
でもあれですよ、バストファージョーンズ役のジェームズ・
一番最初に出てきたときは思わずくすっと笑ってしまいました。
グリザベラのメモリー:カメラワークが大問題
グリザベラの「メモリー」と言えば、『キャッツ』
作中でも2回歌われます。うますぎ。ずっと聴いてたい。さすが。
が、2回ともジェニファー・ハドソンのアップが多すぎ!
これは本作と同じくトム・フーパーが監督した映画版『レ・
表情を見せたいのはわかるけど、
これは好みの問題でしょうか。
ただ、全体的にダンスの構成もかなり凝っていたので、
カメラの切り替えも多すぎて落ち着いて観ていられなかった。
たぶんこれは、
あとあれですよね、グリザベラの過去が中途半端すぎる。
舞台版は娼婦という設定だったのが、映画版では落ちぶれたスターに変わっています。
まあこの変化は良いとして、映画版では「かつてマキャビティと組んでいた」という設定が付け加えられています。
マキャビティの台詞からも推測できる通り、マキャビティはショービジネスをやっていたようです。
だけどなぜ落ちぶれたの?マキャビティとの関係はどうなったの?
これには説明がほとんどないため、もう少し丁寧に描いてほしかったなあ。
アスパラガスとグロールタイガーの関係。ぐりどるぼーん?
早速余談ですが、アスパラガスことガスを演じるイアン・マッケラン、
先日の『WSS』もそうでしたが、こういうお年寄り俳優 (全力の敬意…) がいるだけで舞台が引き締まって見えます。
あ、舞台じゃないや、画面。
ガスの最初の登場は老いぼれてみじめな雰囲気を醸し出していまし
あと、ガスの歌詞にある「最近の若いもんはなっとらん」
というかあれですよね、『ローマの休日』
さてさて。
舞台版では同一の俳優が演じるガスとグロールタイガー。
俳優猫のガスのかつて演じた当たり役がグロールタイガーという設
ですが、映画版では、全く別の猫として描かれています。原作も別の猫ちゃんです。
ガスの当たり役は「荒野の悪魔」に変更。
そういえば「荒野」って、『キャッツ』の原作者T.S.
劇団四季も当初はエリオットへの敬意を込めて劇団荒野にしようとしていたとか。
映画版もここで原作へのリスペクト精神を出してきたのでしょうか。
さて、映画版のグロールタイガーはまさかのただの悪役。マキャビティの手下。
ちょっとショック。
映画版のガスとグロールタイガーは、同じシーンに登場します。
マキャビティに誘拐されたガスが、
なかなかびっくりな展開でしたが、
学生時代に呼んだ「千の顔を持つ英雄」を思い出しました。
『スター・ウォーズ』にも通ずる、神話でよくある親殺し (オイディプス・コンプレックス) のことも。
グロールタイガーはガスの親ではありませんが、
あとあと。
映画版にはジェリーロラムもグリドルボーンも出てきません。こちらも舞台版では同一の俳優が演じます。
グリドルボーンもグロールタイガーの劇中劇の登場人物 (人物?) ですが、ジェリーロラムがグリドルボーンを演じているというわけではなさそうです。
ジェリーロラムはガスに寄り添う猫、グリドルボーンはグロールタイガーを破滅へ導くファムファタル猫です。
出てこないならそれでも良いのですが、マキャビティの曲でボンバルリーナ (『ムーラン・ルージュ』風に登場) が「マキャビティは、マンゴジェリーやランペルティーザ、グリドルボーンとは比にならない悪者」と歌います。
歌詞だけで登場!もったいない!!
スキンブルシャンクスは良いところ取り
そして現れたスキンブルシャンクス!
舞台版のスキンブルが大好きなのですが、あれ…?
まず衣裳が赤い。しかもズボン。舞台版は黒ベスト姿です。
黒い車掌姿になれてしまっているのですが、そっか、
上でなく下を着ているということにむしろある種の変態ちっくさを
そして映像加工がなされていない超絶タップダンス。
だがしかし。ダンスといえばミストフェリーズの専売特許では?
タップダンスも、
最後のターンも、ミストフェリーズがやってるものだし。ほら、
良いところ取りしてるしちょい役じゃーん。…
結論
感想をだーっと書いていきましたが、思い出したことがあれば随時追加していきます。
とりあえず、「映画版『キャッツ』は玉ねぎを投げつけたくなる作品ではない!」とだけ言っておきます。