2019年6月7日(金)公開の実写映画『アラジン』を観てきました!
なお、こちらの記事では1992年公開のアニメーションをアニメ版、2014年初演のミュージカルを舞台版、今回公開の映画を実写版と記述しています。
吹替も評判は良さそうですが、製作発表時の歌唱披露と訳詞に不安を覚えたので、字幕にしました。
2Dでの鑑賞でしたが、3Dや4Dを意識して作られていたようにも思います。
どちらにも配慮しなきゃいけないなんて、監督も大変な時代ですね…。
なお、舞台版についてはちょこっとこちらに記述しています。

既にCDも発売中
帰り道にCDショップへ立ち寄ってびっくり。
もう映画のサントラ発売しているのですね。
実写映画の感想
※以下、ネタバレ含みます。※
曲数
曲数は思っていたよりもかなり少なめで、有名どころのみを使用している感じ。
歌い方もだいぶ違いますね。俳優に合わせているのかな。
新曲もありますし、映画版で曲調も少し変わっている曲もあります。
詳しくはこちら。

アラジンの記号化
舞台版で言及されたアラジン母には「両親共に亡くなった。母に教えてもらった曲がある」という件以外ほぼ触れておらず、アラジンのキャラクターは小さくなった印象です。
この教えてもらった曲をキーナンバーにすれば良いのに…。
アニメ版でカットされ舞台版で復活した「自慢の息子」という曲もなし(メロディラインのみ使用されています)。
アラジンは、泥棒だけど優しい心もあり機転も利く男性という記号以上のものではないですね。
ジャスミンの役割拡大
アラジンが縮小化した分、ジャスミンの役割が拡大しています。ジャスミンについては今まで話題になったことのない母の話も出てきます。
母である王妃は何者かに殺されたため、父である国王がジャスミンに対して過保護になったとのことでしたが、殺害の経緯はわからず。そこはちょっときになるところ…。
ジャスミンに関しては、「壁の向こうへ」という舞台版でのソロ曲がカットされていますが、代わりに「Speechless」という曲が追加されています。リプライズもあり、こちらがジャファーがジーニーの力で国王になった際に大きな役割を果たします。
また、ジャスミンは国王 (スルタン) になるために勉強を重ねてきたという発言があり、最終的にアラジンと結婚する前に父王から譲位の意思を告げられています。独身を貫こうが結婚しようが次期国王はお前だと言われているわけですね。
全体的に女性の社会進出への意識を感じ、1992年のアニメ映画公開当初のフェミニズムの風潮が気になりました。
当時もただ王子様や王様に助けられるだけじゃないプリンセスを作り出そうとしたんですものね。
ジャファーの理由付け
ジャファーに関しても、最近悪役が主人公の映画を作ることも多いディズニーらしく、その出自や権力にこだわる理由が説明されています。
アラジン同様、貧しく泥棒生活をしていたところから権力を獲得していったというのは、『レ・ミゼラブル』のジャベールを彷彿とさせます。
なお、ジャファーはジャスミン母の母国で5年間投獄されていた経験があるがゆえ、友好条約を無視した襲撃を目論んでいます。
悪事にも説得力があります。
3つ目のお願い
あと実は今までの『アラジン』には矛盾を感じていた部分があるのですが、その点は納得のいく説明がなされていました。
それはアラジンの3つ目の願い。
ジーニーを自由にしてあげる約束をしていたはずが、アラジンが私欲のために利用しようとするあれです。
1つ目の願いは「僕を王子にして」、2つ目の願いは「助けて」(アニメ版では海底から、舞台版では地下牢から)ですね。
そして3つ目の願いは、アニメ版も舞台版もジーニーを自由にするはずが、「本物の王子になりたい」という思いが芽生え、葛藤します。
(舞台版は厳密には、「僕が本物王子ではないことを知ったという皆の記憶を消して」ですね)
待って待って。
1つ目のお願いが本物の王子様じゃなかったって、ジーニーずるくない?
ってずっと思っていたんです。
この疑問ずっと黙っていたのですが、映画版では「王子様としか結婚できないという法律をなかったことにするお願いにすれば?」と、自由を諦めたジーニーが提案しています。
私のもやもやが消えた!!!笑
なお、後日改めてアニメ版を鑑賞し、ジャファーに王子様から元の姿に戻されたが故、ジーニーの魔法が解けていたことに気づきました。知らなかった…。
自由を得たあとのジーニー
これは賛否分かれそうだと思いました。私はこれで良いと思っていますが、ひやっとしたので一応記述。
アニメ版も舞台版も実写映画版も、ジーニーは世界一周旅行に出かけますよね。
もちろんそこには何も問題がないのですが、実写版ではパートナーができます。ジャスミンの侍女ダリアです。
オープニングで父が子どもたちにお話をするというシーンがあり、父親役をウィル・スミスが演じています。
最初はストーリーテラー的役割なのかなーとだけ思っていたら、なんと子どもたちの母はこのダリア (オープニングでは登場せず、ラストで種明かしされます) 。
このダリアとの恋は劇中楽しかったのですが、果たしてジーニーにパートナーは必要なのでしょうか。
アニメ版公開当初、「フェミニズムを意識したつもりだろうが、結局ジャスミンはアラジンとの結婚で幸せを手に入れたことになっている。結婚は大切なことなのか」という批判があったと聞いています。
それなのにこのチャレンジ。
どこかで否定的意見が出てきそうです。
映画というメディア
私が一番触れている『アラジン』は舞台版のため、実写版で真っ先にびっくりしたのは、自由な表現ができること。
CG使い放題だから、絨毯は飛んで当たり前だし、ジーニーの魔法も何だってできるわけです。
俳優のお顔アップも自由自在。
回想だってスローモーションだって簡単。
なんなら失敗したら撮り直しもできる。
舞台ではそうはいきません。
ラクダは登場させられないし、アブー役のお猿さんは用意できません。
それらをどう表現して、1回限りのミスが許されない公演を続けるのか。
メディアとしての役割が全く違うことを再度感じました。
おまけ ※ネタバレなし※
好きな動画があるのでご紹介。
Crosswalk the Musicalという動画。
横断歩道で信号待ちをしている車の目の前で突然ミュージカルを披露するもの。
2019年5月には『アラジン』ver.が公開され、メイン3人はご本人が登場してます。
司会のジェームズ・コーディンは2019年末アメリカ公開予定の『CATS』の映画にも出演します。
『CATS』の作曲をしたアンドリュー・ロイド・ウェバー特集のCrosswalk the Musicalをしたこともあります。
そのときにはなんとウェバー本人もご出演。
ネタバレにもならない11分ほどの動画なので、映画の予習にもぜひ。